本業の話。仕事では、いくつかのチームを見る立場にいる。 8月のある日、各チームのリーダーに「自分たちのチームの業務を棚卸して、 自動化やAI化できるものを洗い出してほしい」という指示を出した。
私自身は、AIに仕事を渡すために、自分の業務をずっと言語化している。 何をどういう順番でやっているのか、どこで何を判断しているのか。 頭の中では毎日回っている仕事なのに、文字にしようとすると意外と書けない。 あの感覚を、チームにも一度くぐってもらいたかった。
「失くせる業務はない」
あるチームのリーダーは、業務を一度洗い出したあと、こう言った。 「失くせる業務はない」。
理由を聞くと、「この業務を止めると、こういう問題が起こり得る。 止めるのが怖い」という答えだった。もう一段だけ掘ってみた。 「それは、この業務をやっていたから未然に防げていた、 という実績があるから? どのくらい防げてた?」
返ってきたのは、沈黙だった。
これを責める気にはなれない。私も自分の業務に同じ問いを向けられて、 即答できる自信はない。止めたときのリスクは具体的に想像できるのに、 続けていることの効果は誰も測っていない。 だから「怖いから止められない」業務が積み上がっていく。 これは人の問題ではなく、効果を測る仕組みがないまま リスクの記憶だけが引き継がれていく、構造の問題だと思う。
止めてみないと、分からない
だから、こう伝えた。この業務に割いている時間を1日、1週間、1ヶ月と積み上げると、 かなりの量になる。それが失くせるなら、本来やるべき仕事に時間を使えるはずだ。 怖い気持ちは理解している。それでも、まず止めてみよう。 もし恐れていたことが起きたら、「止めたから起きたのか」 「やっていても防げなかったのか」を見てほしい。 後者なら、その業務は続けても防げていなかったことになる。
止めてみて初めて、その業務の本当の値段が分かる。 副業の実験でやっていることと、結局同じだった。
棚卸はDXの前工程ではなく、本体
似たようなことは、AI化・DX化のなかでよく起こる。 AIに渡すにも、人に引き継ぐにも、まず業務が言葉になっている必要がある。 その意味で、棚卸はDXの前工程というより、本体に近いと思っている。 ツールを入れる前に、渡せる形になっているかどうかで、ほとんど決まる。
それと、棚卸が進まないことがあるとしても、それは誰かの怠慢ではなくて、 日常業務のなかに「自分の仕事を言語化する時間」が組み込まれていない、 という構造の問題だと思う。自分だって、副業の実験という強制力がなかったら、 やっていなかった。
結果はこれから
どんな業務が出てくるのか、どこまで自動化に載るのか、まだ分からない。 うまくいってもいかなくても、書ける範囲でまたここに書こうと思う。